【長野】善光寺② 本堂外陣 ー実は切ない過去の持ち主、びんずる尊者
善光寺本堂へ
現在の本堂は1707年に建てられたもの。
本尊を祀る仏堂に、参拝者のための礼堂が繋がった特殊な形をしており、棟の形が鐘を撞くT字型の道具・撞木に似ていることから「撞木造り」と呼ばれます。(説明パネルより)
びんずる尊者
本堂に入ってすぐに目に飛び込んでくるのが「びんずる尊者」さん。
「撫で仏」と呼ばれたりもしますね。
びんずる尊者は、お釈迦様の弟子、十六羅漢の一人で、この像に触れることでその神通力にあやかり、病気を治していただくという信仰があります。
(善光寺 ご参拝のしおり より)
撮影禁止なので、雰囲気を伝えるべく、改めて似顔絵を描いてみましたが…む、難しい。
(本田不二雄『ミステリーな仏像』のp135の写真を参考にしています)
「撫で仏」と呼ばれるだけあって、身体のあちこちが摩耗しています。
とくに目のあたりは多くの人が触れるらしく、ほとんど凹凸がありません。
お腹、膝、肩、腰などもつるつる。
ガイドブックの写真などでは壮絶な印象を受けましたが、口元は少し笑っているように見え、良い表情をされていました。
それにしても、素手で撫でられるだけでこんなにすり減るものなのだ(木造なのに)と驚かされます。
善光寺はご本尊が絶対秘仏、拝見することすら許されないので、「何かありがたいものを見たい」という人々の欲求に、ご本尊の分まで、こちらのびんずる尊者さんが応えているようにも思います。
よく「人間関係はギブ&テイクだ」なんて言いますけど、びんずる尊者さんのすり減った身体を観ていると、「ギブ&ギブ&ギブ…与えて与えて与えるのだ」というような雰囲気を感じました。
実際は、びんずるさんを撫でたからといって(精神的な効力はあるにせよ)病気などがコロッと治るわけではないでしょう。
でも、一つ言えるのは、撫でた後、みんな笑顔になっていた、ということ。
「あー、膝も腰もお願いしなきゃ」と肩や腰を撫でまくるご婦人たちも。
「私、視力悪いから!」と目のあたりを撫でていた女子中学生も。
みんな、びんずる尊者さんに触れた後は笑顔になっていました。
仏像好きとしてはこの光景にちょっと感動。
思わずびんずる尊者さんがこちらに向けている手のひらにハイタッチをしたい気分(後でひっそりとやりました)。
天に向けたほうの手のひらを両手で包んで、強引に握手したりもしました。
賓頭盧(びんずる)尊者の過去
お釈迦さまの弟子だったびんずる尊者さんですが、善光寺でも外陣に置かれているように、お寺での待遇は決して高くないそうです。
というのも、こんな逸話が仏典に残されているそうです。
王舎城(古代インドのマガタ国の首都)のある長者が、木鉢を竿の先に吊して高く掲げ、「神通あるものはこれを取れ」といった。名だたる行者ら(六師外道)が試みるも徒労に終わった。これを大石の上で眺めていた賓頭盧は、同じ仏弟子の目犍連にそそのかされ、坐した大石とともに空中に躍り上がり王舎城の上を巡ったのち、やすやすと鉢を取って長者の家に下ったという。
この神通に長者は大喜びだったが、釈迦は「神通で凡俗の歓心を買うなど修行者のすべきことではない」と賓頭盧を戒めた。そして、「汝は我(釈迦)に随うことも涅槃に入ることもできぬ」とし、永く俗世にとどまり、世の大福田(善き行為の種を蒔く者)になるよう命じたという。
本田不二雄『ミステリーな仏像』(駒草出版・2017)p.136
引用部をごく簡単にまとめますと、「神通力を人々の前でひけらかしてしまい、師匠のお釈迦さまから追放の罰を与えられた。俗世に残り、善行をするように命じられた」といったところでしょうか。
追放の形をとっていますが、びんずるさんは説法が上手だったので、その腕を見込んで、お釈迦さま亡きあとの布教を託した、という考えかたもあるようです。
このような追放エピソードによって、びんずる尊者さんは外に置かれたり、外陣に留まっているらしい。
過去を知った上で、びんずる尊者像を前にすると、いっそう愛おしいというか、人間味が感じられて、親近感さえ沸くのでした。
(参考)他のびんずる尊者
遠くからでも異様な雰囲気を漂わせておられ、壮絶なお姿です。
仏像は奥が深い。
このあとは本堂の内陣へ。お戒壇めぐりを。
【長野】善光寺① ー本堂にたどり着くまで 高村光雲作の仁王像や山門など
善光寺について
約1400年も続く大寺院。
特定の宗派を持たないことでも有名ですね。
昔、本田善光さんという人が、難波の堀江(現在の大阪 or 奈良県明日香村)に捨てられていた一光三尊像を発見、背負って信濃に連れ帰ったそうです。
後に、天皇の御発願で善光寺が創建されたそう。
善光寺の名は本田善光さんに由来しているのですね。
長野県は何度も訪れたことがあるのに、善光寺に参拝するのは初でした。
仁王門
長野駅から善光寺参道を(七福神めぐりをしながら)歩き、見えてきました仁王門。
左右で写真の大きさが異なってしまいましたが、阿形さん(左)と吽形さん(右)。
通常の仁王像とは配置が逆なのだそう。
こちらの仁王像は彫刻家の高村光雲とその弟子の米原雲海の作。
別のアングルから。
この写真ですと拡大しないとわかりづらいですが、ものすごい目をカッと開かれています。阿形さん(左)は白い歯をむきだしに。
お二人のおみあし。
まさに筋骨隆々。
足の感じから、屈強であることがひしひしと伝わってきます。
釘の一本や二本くらい刺さっても問題なさそう。
ガードマンの役割ですから、当然といえば当然なのですが。
細部(大きいので細部とはいえないかもしれませんが)を見ると、「すごいなーうまいなー」と思わずにはおれません。
さて、仁王門をくぐりまして。
ちなみにこの仁王門、裏側には三宝荒神像と三面大黒天像が安置されているそうです(見逃した……。次は必ず拝見しよう)。
ここを通り過ぎ、駒返り橋(橋というよりは段差)を渡ると、本格的に境内、という感じでした。
ちなみに、1197年、源頼朝がお参りした時に、のっていた馬のひづめが、駒返り橋でひっかかり、ここから歩いて参拝したそうです(パンフレットより)。
案内所
駒返り橋を渡ってすぐ、案内所がありますので、そちらでパンフレットなどをもらっておくといいです。
ベンチもありますので、休憩も可能。
案内所には牛さんもいます。
なぜウシか、と言いますと、こんな話が残っているから(パネルの説明書きをまとめ)。
昔、あるおばあさんが川に布をさらしていると、牛が持っていってしまった。牛を追いかけているうちに気づいたら善光寺まで来てしまった。布は善光寺如来の前にあり、牛は仏様の化身だった、というお話です。
お地蔵さん
案内所を出て歩き出すと、右手に六地蔵、濡れ仏(延命地蔵)が見えます。
山門
洗心で手を清めて、いよいよ山門をくぐります。
なお、この山門、楼上に上がれます(本堂の内陣・忠霊殿とセットになった共通券を買うとよいです。山門端の券売所や本堂内の券売機で買えます)。
楼上には獅子に乗った文殊菩薩さんと、周囲を囲む四天王がいらっしゃいました(撮影禁止なので写真はなし)。
楼上の床は、中央がゆるやかに高い(凸になっている)感じがして、どうにも落ち着かず(平衡感覚って大事なのですね)。
また、山門内部には「落書き禁止」の貼り紙があちこちに貼られ、監視カメラもあります(落書きは犯罪なので当然ですが)。
壁を見ると、明治時代とか大正時代にここを訪れた人が記念に「○年○月 氏名」と書いたりしていました。
観光名所に何か書き残したくなるのは昔の人も同じだったようです。
落書きとはいえ、昔のものは筆文字で達筆だったりするので、「明治の人もここに来たんだなー」と思えたりして、これはこれで興味深いと思ってしまいました。
(もちろん落書きはダメですが)もし許容していたとしたら、100年後とかにここを訪れた人が「平成の人もここに来たんだなー」と想いを馳せたりするのかもしれない、と思ってみたり。
次はメインの本堂へ向かいます。
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【長野】善光寺参道 -七福神めぐりにトライするも時間切れ・西光寺でかわいい獅子を発見
善光寺参道で七福神めぐり
善光寺といったら定番の観光スポットですが、その参道で七福神めぐりもできます。
趣味で仏像彫刻を習っているのですが、ちょうど七福神を彫っていたこともあり、善光寺に行くついでに巡ってみることにしました。
私は地図片手にマイペースでめぐりましたが、予約すればガイドつきで案内してもらえるようです(上記サイト参照)。
また、地図は長野駅の観光センターなどで入手できますので、あらかじめ準備しておくとよいです。
仏像好きの方は、善光寺とセットだと、観るものがありすぎて疲れてしまうかもしれませんので、二回に分けたほうがいいかも。
私も時間の都合上、七福神全ては回りきれずでした。
回れたところだけになってしまいますが、ご紹介します。
①寿老人 ーかるかや山 西光寺
七福神めぐり最初のお寺。
こちらには寿老人がいらっしゃいます。
髭の長いおじいさんの姿をしています。
長寿・延寿をつかさどる神様。
さて、寿老人を拝観したから急いで次へ……いやいやとんでもない、このお寺、なかなか興味深いのです。
かるかや山 西光寺について
1199年、高野山からやってきた刈萱(かるかや)上人が建立。
ご本尊は親子地蔵です。
ご本尊が親子地蔵?
なんだか、珍しい気がしますよね。
というのも、こんな縁起が。
かるかや上人が高野山にいた頃のある日。
俗世に残してきた息子(石堂丸)が、父恋しさに高野山まで探しにきました。
三日三晩さまよったのち、石堂丸はある僧侶に会います。
この僧侶が父(かるかや上人)なのですが、僧侶は出家した身なので名乗ることができず、「尋ねし父は既にこの世にない」と石堂丸に告げます。
(そのシーンが銅像になっていました)
それで、石堂丸は山を降りるのですが、残してきた親族が皆亡くなってしまっており、悲しみにくれます。そして再び高野山に入り、修行することに(僧侶が父であると確信しつつも、僧侶を師と仰ぐ)。
その後、かるかや上人(父)は善光寺如来に導かれ、高野山から信濃へ。
このかるかや山を開山します。
かるかや上人が亡くなった後は、信照坊道念(石堂丸)がやってきて、ここを守ったそうです。
詳しいあらすじは公式ホームページに記載されています。
絵解きの寺 かるかや山 西光寺 ホームページ
なお、このお話、「絵解き」としてお寺で聞くこともできます。
絵解きとは、昔、字が読めない人に絵で説法をしていたのが始まり。
こちらのお寺にはその絵解きが伝承されていて、お願いすれば随時行ってもらえるようです(志納金500円)。
ものすごく興味があったのですが、時間的な制約があり、今回は受けられず。
本堂の獅子!
さて、かるかや親子の絆も良いですが、個人的に最も記憶に残ったのは本堂の欄間の柱にいる獅子です。
柱からひょっこりのぞいている感じがいい。
アップで撮った写真がこちら(ブレてしまいましたが)。
か、かわいい。
口元に手を当てています!
クマのぬいぐるみなんかがよくとるポーズではありませんか!
一応、悪いものが入ってこないように見張っている役割だと思うのですが、このかわいらしさで大丈夫なんでしょうか。
と心配しつつ、思わず顔がゆるんでしまいました。
②大黒天 -大國主神社
中央通り(善光寺参道)を交差点で左折し、長野県庁方面に少し歩いたところにあります。
とても小さなお社です。
わずかに開いている隙間からこっそりお社の中を覗くと、なんとなーくですが、大黒様が見えました。
手を合わせた後、100円支払ってご朱印をいただきました(セルフサービスです。スタンプをご朱印帳や手帳に自分で押します)。
③福禄寿 -秋葉神社
大國主神社参拝後は、中央通り(善光寺参道)に戻り、北へ。
左手に秋葉神社があります。
こちらには福禄寿さんが。福禄寿は名の通り、「福(幸福)、緑(財運)、寿(長寿)を授けてくれる神」。
囲いがあって少々見づらいですが、頭の長いおじいさんです。
この長い頭に知恵がぎっしりと詰まっているのだそう。
寿老人とかぶるのでどっちだっけ?といまだに混乱したりします(汗)
頭の長いほうが福禄寿、と覚えましょう。
さて、この秋葉神社、同じ敷地内(?)に十念寺というお寺も併設されています。
阿弥陀仏坐像、別名「出世大仏」さんがいらっしゃいます。
上の写真の右側に映っている建物の中に入ると、そこには金ぴかの出世大仏さんが!
とても大きいです。5メートルあるらしい。
(撮ってよいかわからなかったので写真はなし)
出世大仏さんの右手の指に結ばれた糸が(参拝者の)頭上の鰐口(銅鑼みたいなやつです)つながっています。
つまり、鰐口を鳴らすと、糸を伝って、ダイレクトに出世大仏さんに伝わる、と。
糸がつながっているお姿をあまり見たことがなかったので、面白いなあと思いました。
出世大仏さんの効果でこのブログも出世するといいなぁ。
④弁財天 -往生院
中央通り(善光寺参道)をさらに北上し、さびれた商店街風の「権堂アーケード」に入ってすぐのところにあります。
説明書きによると、もとは弘法大師が創建したとか。また、法然さんが善光寺に来たとき、ここに逗留したらしいです。
お堂の左奥に弁天さんのお社がありました。
他はめぐりきれず……次回の楽しみということに
このあと、布袋さん、恵比寿さん…とめぐるつもりだったのですが、徐々に善光寺の門が見えてきたせいでそちらに夢中になってしまい、無意識のうちにスルーしていました…。
途中で思い出し、帰りに寄ろう、と意気込んだものの、時間の都合で結局寄ることができず…。
帰り道、外観だけ観れたのが世尊院(毘沙門天)でした。
こちらはお堂の中に入って見学できるのだと思うのですが、時間がなく…(くやしい)。
まあ、またの機会に訪ねたいと思います。
おわりに
七福神めぐりは全てめぐってこそ、ではありますが、どうしても時間がない方は、①のかるかや山 西光寺と③秋葉神社(十念寺)がおすすめです。
このあとは善光寺へ。
【長野】松本を巡る③ ーバスに翻弄されつつ、旧開智学校・松本神社・四柱神社
雨の中、歩いて旧開智学校へ
上記記事の続きです。
松本市立博物館を出ると、ざあざあと雨が降っていました。
これはバスを逃したら大変、と慌ててバス停へ。
発車時刻にはギリギリ間に合ったはず…なのに、15分以上待ってもバスが来ない……。
もしかして、早めに行ってしまったのか(ダイヤ乱れがちな雨の日あるある)。
時間もないし(旧開智学校の入館は午後四時半まで)、歩くしかないか。
そうして強い雨の中、歩き出しました。コンバースのスニーカーが浸水しないか心配しながら。
それからわずか数分後。
ブーン……後方からバス登場!
(かなり)遅れていただけでした…。
辛抱強く待てばよかった(大抵、こういうとき待てない)。
とはいえ、次のバスはさらに30分以上後ですから、もう歩くしかない。
強い雨に加え、防災無線が「台風が近づいているので、早めに帰宅して備えてください」なんて呼びかける始末。
焦りつつ、旧開智学校へ急ぎました。
旧開智学校
雨の中、無事に到着。
こざっぱりとした、清潔感の漂う外観です。
現在の建物は明治9年に完成したそう。
昭和38年まで使用された約90年使用されたんだとか。
国内で最も古い小学校校舎の一つだそうです。
校内へ
雨が降っていたこともあり、外気温は高くなかったのですが、校舎内は相当蒸し暑かったです。
見学は真夏よりも春・秋がよさそう。
ひたすら床がギシギシ鳴るあたり、建物の古さを感じます。
蒸し暑さに耐え兼ねて、また、台風の懸念もあって、サクサク観ていきました。
こちらの階段を上がって二階へ。
ステンドグラスがきれい。
照明もおしゃれでした。
校舎を見学後、改めて外観の写真などを撮っていたら、バスの時刻まであと一分!
今度こそ逃すわけにいかない。
走って最寄のバス停に向かいます。
とはいえ、さっきあれほど遅れていたのだから、今度も遅れてくるのだろう、と油断した矢先。
バス停にはすでにバスが停車しているではありませんか!
「お待ちを!乗ります!」とダッシュするも、運転手さんに気づかれず、バスは出発してしまったのでした……トホホ。
小さくなってゆくバスのお尻を茫然と眺めたあと、気を取り直して次のバスの時刻を確認すると、30分後……。
また歩くのか……もうずっと歩きっぱなしで疲れたな、と肩を落とした瞬間、一台のタクシーがのろのろと私の横を通りすぎてゆく。
タクシーの運転手さん、おそらく私がバスを逃す瞬間を全て目撃しておられたのでしょう、やたらニヤニヤしていたのです。
「乗るでしょ?(ヘヘッ)」という感じで。
もしかしたら単純に私の姿が可笑しかったのかもしれないし、あるいは営業用の微笑みを浮かべていただけかもしれませんが、その時の私には嫌な感じの笑い(嘲笑の類のもの)に見えてしまいました。
なんかイヤ、と思った私は、あまのじゃくな性分を発動してしまいまして「いや、歩きますけど」という顔をして何事もなかったかのようにスタスタ歩き出してしまったのでした。
結局松本駅まで雨の中を歩きました……。
ものすごく疲れましたが、歩いたおかげで寄ることのできた神社もあったので、まあよしとします。
松本神社
松本城の北隣にある神社です。
工事中でしたので、全貌がよくわからなかったのですが、本殿と思しき建物にて参拝(今知りましたが…ご神木は境内の外の、道路の分離帯上なのだそう)。
おみくじの自動販売機があったので引いてみました。
すると、大吉!
バスを逃し続けた日でしたが、その分の運は逃さずに貯めた、と思うことにしよう。
ここから松本城を眺めると。
四柱神社
駅に向かって歩き続けていると、四柱神社が見えてきました。
名前の通り、四柱の神様がまつられています。
徳の高い神様が四柱ですから、「すべての願いが相叶う」という意味から「願いごとむすびの神」として崇められているそう。
ひととおり参拝して、再び歩き出します。
近くのナワテ通りも少し歩いてみました。
台風に備えてでしょうか、すでに閉店しているお店も多かったです。
松本駅到着
グーグルマップを駆使してなんとか辿り着きました。
松本市立博物館→旧開智学校→(神社)→松本駅
と、ものすごい距離を歩いた気がしましたが、調べてみるとせいぜい3km程度。
知らない土地だと長く感じるものですね。
帰りの電車でやっと座れる!と思いきや、台風の影響であずさが運休しており、その結果JR篠ノ井線が混雑しているという…。
結局、長野までの一時間二十分、立ちっぱなしでした。
バスをはじめ、公共交通機関に翻弄された一日でした。
たくさん歩いたので、長野駅に戻ってから食べたお蕎麦が異常においしかったです。
【長野】松本を巡る② ー松本城は足腰の丈夫なうちに・博物館でカータリに会う
松本城へ
松本市美術館を堪能した後、さーて次はどうしようかな、と松本城のHPを見たとき。
そこで初めて知りました。
「天守入口までの待ち時間:50分 (※2017年8月上旬・お昼頃の情報)」
えっ!? 松本城って、入城までにそんなに待つの!?と。
(普段は事前にいろいろ調べておくタイプなのですが、このときは仕事の都合などで時間がなく、ほとんど行き当たりばったりだったもので)
それなりに暑いなか50分も待つのはきつい……せめて涼しくなってからがいい。
ならば、松本城は夕方にするか(雨が降りそうだが…暑いよりはマシかな)。
というわけで、先に旧開智学校へ行くつもりでバスに乗りました。車内で暇だったので松本城の待ち時間を再びチェックすると……おや! 30分に減少している! ならば今行こう!と、松本城の前で慌ててバスを降車しました。
(このように、待ち時間はけっこう変動するようですので、マメにHPをチェックすることをおすすめします。)
バスは太鼓門の近くに止まったので、ここから入ります。
太鼓門をくぐって、お城に近づいていきます。
門をくぐると、天守が登場(逆光になってしまいましたが)。
見ごたえありますね。
このまま眺めていたい気持ちもありましたが、天守内に入るために早く並ばねば。
ディズニーランドのアトラクション待ちのように、ひたすら立って並ぶのだろうと思っていたのですが、テントの下にずらっと長椅子が設けてあり、座って待つことができました。これはありがたい。
日も雨も避けられて、しかも座れる。
これなら暑い日でも、雨の日でも、ご年配の方も、比較的楽に待つことができますね。
私は膝の上に旅行ノートを広げて、これまでの道程を記入したりしていました。
椅子、ありがたや。
そうこうしているうちに時間は過ぎ、天守入口に案内されました。
30分も待ったようには感じなかったです。
天守内部へ
入口で靴を脱いで、ビニール袋に入れ、そのまま持ち込む観光スタイルでした。
内部はけっこう段差があったりしますので、エコバック的なものにビニール袋ごと靴を入れ、肩にかけるなどした方が楽かもしれません(ご年配の方やお子さんなど)。
入ってすぐの階段の段差がすでに高くて「おおお」とひるむ。
なかなかアクロバティックな城内を予想させられます。
写真がぶれてしまいましたが、内部の様子です。
ところどころに矢狭間・鉄砲狭間と呼ばれる狭間があります。
小さい方形が鉄砲狭間、長方形が矢狭間だそう。
ここから鉄砲を撃ったり、矢を放ったりしたのですね。
前の方のあとをついて、ひたすら階段を上っていきます。
各階に展示があり、じっくり観ていたらけっこう時間がかかりそう(混雑していますし、外で待っている方もいるので、横目で見る感じでした)。
中から外を見てみたり。
4、5階あたりになると、階段の横幅がいっそう狭くなります。
しかも、降りてくる人とすれ違うので、「すいません、すいません」とお互い譲り合いながらの通行に。
また、一段一段の段差も大きく、頭上に梁もあり、それなりに険しい。
目の前に「頭上注意」の貼り紙があるにも関わらず、私もうっかり頭をぶつけそうになりました(あと数センチ背が高かったらぶつけていた)。
若い人は問題ないですが、ご年配の方や小さいお子さんは、この狭くて段差のある階段にかなり苦労しているように見えました(いずれもご家族の方がフォローされ、無事に上りきっておられましたが)。私もあまり体力に自信があるほうではないので、今のうちに登っておいてよかった、と思います。
この険しい階段ならば、天守入口までの待ち時間が発生するのも納得。
人数制限しないと危ないですからね。
とはいえ、階段ごとに警備員や案内係(?)の方が立っておられ、「頭上、注意してくださいねー」とか声をかけてくれますので、大丈夫です。
なんだか皆さん、とても感じが良かった。
世界遺産登録を目指しているそうなので、気合の入れ方が違うのかなーなんて思ったり(全体的にスタッフの数も多かったです。バイトらしき学生さんも含めて)。
さて、険しい階段を上ったら最上階に。
外に出られるわけではなく、窓があるだけでした。
けっこうむし暑いです。
あくまで個人的な意見ですが、お城って、遠くから観るのが一番美しいな、と思ったりします。
外観の美しさゆえ、期待値が高まってしまい、中に入ると「ほう、こんなもんか」と思ったりします(お城好きの方はいろいろ観るところがあるのでしょうが)。
事前に勉強していけばもっと楽しめるのに!とも思いますが、なかなか…(汗)
天守からの眺めをひとしきり堪能したら、のぼってきた階段を下ります。
下りるほうが大変そうに見えたので、けっこうビビってていましたが、大丈夫でした。
天守を出ると、待ち時間がまた60分に!
良いタイミングで入れたようです。
下から改めて見上げるとやはり迫力ありますね。
黒い壁がかっこいい。
おまけ 松本市立博物館
太鼓門の南側には松本市立博物館もあります。
共通観覧券(現在は発売していないようです)を持っていたので、ついでに寄ってみました。
松本の歴史や文化についての展示がメイン(期間によっては特別展もあります)。
松本に何のゆかりもない私にはあんまり興味ないかなー、と思っていたのですが、これがけっこうおもしろかったのです。
その土地ならではの言い伝えとか信仰とか、どこかファンタジーな部分があって楽しい!
カータリ
一番興味深かったのは「カータリ」なる存在。
「カータリ」というくらいだから、語り? 何か伝説めいたものを語る人なのかなーとか思いきや、実はロマンティックな存在。
まずは「カータリ」さんのお姿を(スタンプで失礼します。博物館では実物が観られます)。
な、なんですか、この脚の細い変なおじさんは……。
しかし、この「カータリ」さん、活躍の場は七夕。
七夕と言えば、織姫と彦星が年に一回会える日。
しかしそんな日に雨が降っていたら……彦星は織姫に会いにいけなくなってしまう。
そこで「カータリ」さんの出番です。
「カータリ」さん、彦星をおぶって、雨の降る天の川を渡ってくれるんです。
だから、着物の裾をまくって、脚を出しているんですね。
川を渡る→かわたり→カータリ、とのこと(たしか)。
なんとも涙ぐましい。
一気にファンになってしまいました。
この後は旧開智学校へ。
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【長野】松本を巡る① ーポップでかわいい松本市美術館
夏に適した旅行先を考え中
暑い夏でも公共交通機関と徒歩で観光しやすい場所、というテーマをここのところ考えています。例えばこちらの記事とか。
夏場でも暑さがそれほど気にならない土地、といったら長野も一つの選択肢でしょうか。
昨年の8月上旬に長野に行ったときのことを思い出してみます。
長野とはいえ、昼間はそれなりに暑かった記憶が。
それでも、夕方、とくに夜ともなると、かなり過ごしやすかったのを覚えています(その分、帰宅したら、うはー暑い、となりました)。
とりわけ松本を巡った日は、台風が接近していたこともあり、暑かったのはお昼前だけでした。
松本へ
前日は長野駅前のホテルに宿泊したので、長野駅からJR篠ノ井に乗車。
平日の午前8時すぎの電車だったので、通勤などで混雑しているかなと思いきや、空いていました。
一時間ちょっとで松本駅に到着。
アリオ一階にあるバスターミナルでー日乗車券(松本周遊バスタウンスニーカー)を購入。一日乗り放題で500円なので、お得だと思います。ただし、バスの本数が少ないので注意です(私はバスを待てずに結構歩いてしまったので、トントンくらいでした)。
松本市美術館
すでにかなり個性的。
花のオブジェが咲き乱れています。
そう、この水玉模様、草間弥生さんの作品です。
草間弥生さんは松本のご出身。
美術館の外観も水玉模様ですが、館内の常設展示も水玉祭りでした。
有名なカボチャの絵をはじめ、黒地にひたすら赤ドットの絵とか、白い網目の絵とか、水玉模様のマネキンやらテーブルやら。
いくら水玉模様が好きであっても、あんなに水玉模様ばかり描けない気がするので(素人的には)、やはりゆるぎない個性、というか才能ということなのでしょうね。
もともと草間さんは「幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、それらの幻覚・幻聴を絵にし始めた(wikipediaより)」のだそう。
一見、マイナス要素である幻覚・幻聴を、作品に昇華したところがすごいなと思います。
作品にせざるを得ないくらい切迫したものだったのかもしれません。
このような美術作品って、芸術家の頭の中の概念が具現化したものですから、作品を通して、その方の世界をのぞき見れる感じがしておもしろいです。
自分と違いすぎたりして、ビックリしたりもしますが。
ちなみに、草間弥生さんの作品だけでなく、上條信山さんの書とか、田村一男さんの風景画(都会育ちで、初めて信濃の景色をみたときに感動し、絵にした方らしいです)などもあります。
上條信山さんという方の作品で記憶に残ったのが「一怒一老」と書かれた書。
書については私に知識がなく、楽しみ方がわからなかったりするのですが、「一怒一老」はまさにその通りだよなぁ、と思って背筋を伸ばしたのでした。
ミュージアムショップも楽しい。
草間弥生さんグッズが充実しています。
私も手ぬぐいを購入しました。
館内も中庭も涼しくて居心地がよく、素敵な美術館でした。
このあとは松本城に向かいます。
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【群馬】高崎白衣観音 一度は入っておきたい巨大観音の胎内
洞窟観音から高崎白衣観音へ
洞窟観音・山徳園・山徳記念館を満喫したのち。
次のバスまで一時間以上あったので、山頂の高崎白衣観音に向かってぼちぼち歩いてみることにしました。
が、歩くのはおすすめできません(特に夏~秋)。
・まず、暑い。
9月中旬でしたので、真夏ほどの暑さではありませんが、それでも汗が噴き出し、額からタラタラ流れ落ちるほど暑い。
・そして、ずっと坂道。
山頂に向かう道だから当然なのですが。
私を追いぬき、すいすいと坂を登っていく車たちをうらめしい気持ちで眺めました。
・スズメバチに遭遇。
この坂、どこまで続くのやら、とヨタヨタしながらふと顔を上げた瞬間、スズメバチがすぐそこに浮遊(1メートル先くらい)!
かなり焦りました。
思わず後ずさり、身を少し屈め、日傘で頭部をガード(スズメバチは黒いものを攻撃するので頭髪が危険と聞いたことがあります)。
洞窟観音の出口で見かけた「蜂に注意」の看板が脳裏に蘇ります。
そうだよ私、注意しろって、看板が言ってくれてたじゃん、と後悔。
あわあわしていると、スズメバチが左手の林の方に近づいていったので、そのすきに足早に立ち去りました(たまたま運よく難を逃れましたが、刺されてもおかしくなかったと思います。危険です)。
まだ付近に仲間のスズメバチがいるかもしれないと思い、競歩並みの速さ(自分比)で坂を駆け上がりました。
そしてなんとか「観音山頂」というバス停に到着。
これ以上歩くのはいろんな意味で危険(熱中症、ハチ遭遇の恐れ)、と判断し、結局バスを待つことに(洞窟観音入口バス停で一時間待った場合と時間的に変わらず。むしろ坂道登って疲弊した……トホホ)。
※ちなみに。
今思い返すと、観音山頂のバス停付近は駐車場になっていたので、車で来た人はそこから高崎白衣観音まで歩くはずですよね……ということは、あと少しで目的地到達だったのではないか(バスの場合は大回りする模様)と思います。ますますトホホ。
まあ、こういうグダグダな感じも、旅にはつきものですが。
駐車場から白衣観音を見ると、遠いんだか近いんだか、わからなかったのですよねぇ……。
バスが来るまで駐車場を散策して時間を潰しました。
駐車場には平和塔(忠霊塔)があります。
駐車場からの景色がきれいだったのが救いです。
なお、駐車場には観光センターなる建物もありましたが(写真撮り忘れた…)空調が効いておらず、坂を上って汗だくの私には居られませんでした。
結局、外の待合室の方が涼しかったです。
高崎白衣観音
さて、気を取り直して。
やってきたバスに乗車し、白衣観音前で下車。
坂道を上ると左手にお堂が見えてきました。
お堂から白衣観音を見上げると。
見上げると迫力がありますね。
では、白衣観音の胎内に入っていきます(拝観料300円)。
白衣観音胎内は9階まであり、階段を上っていきます。
9階と聞くと「うへー」と思いますが、段数が少ないのか、そんなにきつくなかったです。
各階に少しスペースがあり、仏像(カラフルな板彫りの感じ)が安置されていました(写真なし)。
白衣観音胎内の窓から外を眺める。
窓には逐一「窓から物品を投げないでください」と書いてありました。
なんとも不思議な気持ちになりました(投げる人いるの!?という驚きと、でも実際投げたら確かにものすごく危険なので、真剣なお願いなのだ、という実感)。
身代わり観音
9階には「身代わり観音」なる像が安置されています。
説明書きによると、2011年3月11日の東日本大震災のとき、(巨大なほうの)白衣観音自体は無事だったのに、胎内にある小さい観音のほうはお腹のあたりにヒビが入ったらしいです。
それで「身代わりになってくれたのでは…」という話になったそう。
地上の売店には「身代わり守り」というお守りも売られていました。
なお、身代わり守り以外にも、お守り類が充実しています。
ランドセルの形をした学業守なんかもかわいらしかったです。
夏場は虫よけスプレーがあるとよいです
車でいらっしゃる方はあまり必要ないかもしれませんが、バス利用の方、夏~初秋は虫よけスプレーと虫刺されの薬(ムヒなど)を持参されることを強くおすすめします(特に夕方)!
帰り、バス停に向かう下り坂を歩いているとき、またバス停に立っているとき、私は蚊に刺されまくりました(二十か所くらい!)。
おかげでバスに乗っている間ずっと、ぼりぼりと脚やら腕やらを掻くはめに。
せっかくの楽しかった記憶に浸る余裕もなく、ひたすらかゆい。
冷たいペットボトルで患部を冷やすのですが、あっちもこっちもかゆいのでキリがありません。
虫さされの薬をあれほど欲したことはなかった……。
しばらくして無事かゆみはおさまりましたが。
以降、旅行の持ち物リストにポケムヒを追加したのでした。