【上野】快慶・定慶のみほとけ① - 快慶作の目楗連(もくけんれん)が秀逸すぎた
大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ
東京国立博物館にて開催中(2018年10月2日~12月9日)の特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」の観賞記録です。
会場は東京国立博物館の平成館。
平成館内の別の展示室でデュシャン展も開催中。
大報恩寺について
京都市上京区にあるお寺。通称「千本釈迦堂」。
創建:鎌倉時代初期
本尊:釈迦如来坐像
源氏と平氏の内乱、大規模災害、東大寺の大仏が焼け崩れてしまうなど、大変なことが続き、仏法が破滅しつつあった12世紀末。
これではいかん、釈迦の教えに立ち返ろう!と天台僧の義空さんが、法華経(釈迦は永久にこの世に存在し、法を説く)に基づいて大報恩寺を創建したそうです(1220年)。
(トーハクHPを参考にまとめました)
仏像の感想
全ての仏像について書いていたら、記事が長くなりすぎてしまったので、まずは釈迦如来坐像と十大弟子について書きます。
普段の大報恩寺では、釈迦如来は本堂に、十大弟子は霊宝殿に、と別々に安置されているそうなのですが、昔は両者とも本堂にいらしたそうです。
今回の特別展では、釈迦&十大弟子が同じ展示室内で、昔の本堂を考慮した配置になっています。
開催初期でしたが、大物が集結しているので、けっこう混雑していました。
釈迦如来坐像
パンフレット(背景が赤いほう)に載っているお方です。
大報恩寺の秘仏(!)本尊です。
作者は行快さん(快慶さんの弟子)。
行快さんは、若い頃は快慶さんの作風にならっていたそうですが、快慶さんの没後に個性を発揮し始めたとのこと(説明パネルより)。
師匠から基礎をきっちりと学び、その上で個性を出す、まさにものづくりのお手本のような姿勢です。真面目な方だったのかもしれませんね。
釈迦如来は、パンフレットで見る以上に、お肌がつやつやスベスベ(※見た目の質感です。触ってはいけませんよ)。
この、つやつやスベスベ具合は快慶さんの作風を踏襲しているなぁ、と思います(昨年、奈良国立博物館にて行われた「快慶展」に行ったのですが、そのときも仏像たちのお肌が美しくて驚きました)。
一方、丸みのあるお顔や目じりが上がった目の形は、行快さんの特徴らしいです。
パンフレットだと目つきが鋭いようにも感じるのですが、仏像の前に立って目線を合わせると、いい塩梅といいますか、見守られているような印象に変化しました。
秘仏だからなのか、お顔の金箔が完全に残っていて(貼り直しているのかも)、本当に神々しかったです。
十大弟子立像
十大弟子とはお釈迦様の弟子のなかで、とりわけ優れた人物10名。
「すごい弟子10傑」というわけですね。
私が最初に十大弟子の仏像を観たのは、興福寺の国宝館だったと思います(乾漆造のもの)。
その頃は今ほど仏像に詳しくなかったので、「十大弟子? 昔の偉いお坊さん的な? ふーん」という感想でした。
そのときのイメージが強かったので、今回も「十大弟子か、ふーん」となるかと思っていました(HPなどで写真を見ている限りでは、あんまりピンとこなかったし)。が……実物を観たら一気に十大弟子のファンに!
以前よりも仏像に関する知識が増えたという背景も影響しているとは思いますが、快慶チームの仕事ぶりが本当に素晴らしい。
おそらく、十軀すべてを快慶さんがフルに造ったのではなく、弟子がある程度形にして、快慶さんが手を加えたり、アドバイスしたり、という感じだろうと思いますが、どの像も素晴らしかった。
観た順に感想を記します。
目楗連(もくけんれん)
最初に観たのが目楗連の彫像。
神通力が使えたお方らしいです。
目楗連については、快慶さんのサインが入っているので、快慶さんがメインで担当したのではないか、とのこと(パネル説明より)。
一瞬で「巧っ!!!」と度胆を抜かれました(天才仏師の一人ですから当然なのですが)。
像高は(感覚的には)1メートルくらい(?)で、小柄なのですが、細部まで完璧で、ずっと見ていられます。
遠くを見通すような視線の力強さが印象的。
この目力なら神通力もありえる、と思ってしまう。
腕の血管もリアルに浮き出ているし、衣も布かと思うほどたなびいているし、痩せた胸の感じとか、少し御年を召した猫背の感じとか、本当に素晴らしかったです。
舎利弗(しゃりほつ)
続いて舎利弗さん。頭脳明晰なお方だったそうです。
それを物語っているのでしょうか、頭(額から上)が大きめ(脳がたっぷり詰まっていそう)。
舎利弗さんを観ながら、とある知人に似ているなーなんてのんきに思ったのですが、そういえばその知人も、ものすごく頭の良い人でした。
表情には、性格や経験などいろんなものが出ますから、頭がいいと顔つきが似ることもあるのかもしれない、なんてことを思いました。
背中側に回ってみると、肌の質感と衣の質感が違うことに気づきます。
衣の方に細い溝を入れているのか、木目をうまく利用しているのか、仄暗い空間内では素人には判別できませんでしたが(おそらくは木目を生かしているのではないかと思う)、いずれにしても技術力の高さに唸ったのでした。
大迦葉(だいかしょう)
清貧を貫いた方だそうです。
顔の彫りが深く、目が奥まっています(もともとお釈迦さまも十大弟子もインド人なので、よく考えれば当然ですが)。
八重歯ぎみなせいか、悪魔めいた印象を最初は受けたのですが、何度か巡回しているうちに親しみやすそうな気もしてきました。
凹んでいるときなどに「おう、元気か!」と言ってくれそう(※勝手な妄想)。
迦旋延(かせんえん)
理論家で、問答が得意だったそうです。
目楗連さん、舎利弗さんのお二方に比べると、少し顔のつやが失われているような印象。
目は二重で、すこし眠そうというか、とろんとした印象を受けたのですが、少し離れてみると、照明の光が玉眼に反射してキラッと光り、只者ではない感がにじみ出ていました。
羅ご羅(らごら)
(らごらの「ご」にあたる漢字がなかったのでひらがなにしています)
お釈迦さまの実の息子さんです。
綿密に、隅々まで精進した方らしいです。
歯並びが大変きれいだったのが印象的。
全体的に若い感じを受けました。
阿那律(あなりつ)
説法中に居眠りをしてしまい、反省し、不眠不休で修行したところ、失明してしまったというお方。しかしその失明により、心の眼を得たのだとか。
つるりとしたお顔で、地蔵菩薩っぽい雰囲気です。
目の縦幅が左右で微妙に違うように見えたのですが、失明したことと関係しているのでしょうか。
左手の手首を右手で掴み、まるで脈をとっているかのようなポージング。
心の眼で何かを感じている様子なのでしょうね。
優波離(うぱり)
戒律を守ることを重視したお方だそうです。
エラが張って、あごもがっしり、頬骨も高いタイプのお顔。
かといって、威圧感はなく、前向きな表情。
快慶チームの仏像はいずれも衣の質感が美しいのですが、優波離さんの衣は特にその傾向が顕著だったように思います。
「実は木でなくて布なのではあるまいか?」と何度も疑ってしまいます。
これも勝手な想像ですが、快慶チームの中にも「衣を彫るのが得意な弟子」「顔を彫るのが得意な弟子」「つるつるに仕上げるのが得意な弟子」「ノミを使うのが得意な弟子」……といろんなタイプがいたのかもしれないなー、と思ったりします。
その弟子の得意なところが像を通して具現化しているのかも(もちろん快慶さんも手を加えているでしょうが)。
快慶チームにますます興味が沸いてきますね。
富楼那(ふるな)
富楼那さんは説法が得意だったお方。
アゴががっしりした四角い感じの輪郭。
他のメンバーは、おおかた正面を向いているのですが、富楼那さんだけは視線を斜めに「キッ」と向けています。
眉間に皺を寄せているようにも見えるし、一筋縄ではいかない感じが漂います。
誰でも説得してみせる、という姿勢だったそうなので、意思の強さが現れているのかも。
とはいえ、なんだか憎めない。
優しいのだけれども、それを奥のほうにグッと押し込み、あえて厳しくしているような雰囲気を感じました。
個人的には十大弟子のなかで一番のお気に入りです。
須菩提(すぼだい)
何事にも執着しない、がモットーだったお方だそうです。
目が細めで、歯がギラーンとしているのですが、怖い感じはしないです。
顔のタイプ的には大迦葉さんに似ているような。
勝手な印象なのですが、しわがれた声をしていそうです。
阿難陀(あなんだ)
お釈迦様の話を一番多く聞いた方だったそう(お世話係もしていたそうです)。
美男子だったので、阿難陀目当てにやってくる女性信者も多かったのだとか。
その美男子ぶり、彫像にもキッチリ反映されていました。
目がキリッとしていて、鼻がスッと高い。
真正面よりも、阿難陀さんに対してやや右側に立つと、パチッと目が合って「これは女性信者たちが心を掴まれるのもわかる」と思ったのでした。
写真で見る限りは、他のメンバーとそこまで違うようにも見えなかったのですが、実物は確かにイケメンでした。
おわりに
十大弟子について長々と述べてしまいましたが、それほど素晴らしかった、ということです。
今回の特別展で十大弟子を観るまでは、誰が誰やらさっぱりだったのですが、実物を観たら、一気に興味がわきました。
このように、仏像は、仏教に興味を持たせる役割も担ってきたのだろうと、実感した次第です。
やっぱり慶派の仏像はいいなあ、と再認識したのでした。
他の仏像の感想や、購入したグッズは別記事にまとめました。