【長野】善光寺② 本堂外陣 ー実は切ない過去の持ち主、びんずる尊者
善光寺本堂へ
現在の本堂は1707年に建てられたもの。
本尊を祀る仏堂に、参拝者のための礼堂が繋がった特殊な形をしており、棟の形が鐘を撞くT字型の道具・撞木に似ていることから「撞木造り」と呼ばれます。(説明パネルより)
びんずる尊者
本堂に入ってすぐに目に飛び込んでくるのが「びんずる尊者」さん。
「撫で仏」と呼ばれたりもしますね。
びんずる尊者は、お釈迦様の弟子、十六羅漢の一人で、この像に触れることでその神通力にあやかり、病気を治していただくという信仰があります。
(善光寺 ご参拝のしおり より)
撮影禁止なので、雰囲気を伝えるべく、改めて似顔絵を描いてみましたが…む、難しい。
(本田不二雄『ミステリーな仏像』のp135の写真を参考にしています)
「撫で仏」と呼ばれるだけあって、身体のあちこちが摩耗しています。
とくに目のあたりは多くの人が触れるらしく、ほとんど凹凸がありません。
お腹、膝、肩、腰などもつるつる。
ガイドブックの写真などでは壮絶な印象を受けましたが、口元は少し笑っているように見え、良い表情をされていました。
それにしても、素手で撫でられるだけでこんなにすり減るものなのだ(木造なのに)と驚かされます。
善光寺はご本尊が絶対秘仏、拝見することすら許されないので、「何かありがたいものを見たい」という人々の欲求に、ご本尊の分まで、こちらのびんずる尊者さんが応えているようにも思います。
よく「人間関係はギブ&テイクだ」なんて言いますけど、びんずる尊者さんのすり減った身体を観ていると、「ギブ&ギブ&ギブ…与えて与えて与えるのだ」というような雰囲気を感じました。
実際は、びんずるさんを撫でたからといって(精神的な効力はあるにせよ)病気などがコロッと治るわけではないでしょう。
でも、一つ言えるのは、撫でた後、みんな笑顔になっていた、ということ。
「あー、膝も腰もお願いしなきゃ」と肩や腰を撫でまくるご婦人たちも。
「私、視力悪いから!」と目のあたりを撫でていた女子中学生も。
みんな、びんずる尊者さんに触れた後は笑顔になっていました。
仏像好きとしてはこの光景にちょっと感動。
思わずびんずる尊者さんがこちらに向けている手のひらにハイタッチをしたい気分(後でひっそりとやりました)。
天に向けたほうの手のひらを両手で包んで、強引に握手したりもしました。
賓頭盧(びんずる)尊者の過去
お釈迦さまの弟子だったびんずる尊者さんですが、善光寺でも外陣に置かれているように、お寺での待遇は決して高くないそうです。
というのも、こんな逸話が仏典に残されているそうです。
王舎城(古代インドのマガタ国の首都)のある長者が、木鉢を竿の先に吊して高く掲げ、「神通あるものはこれを取れ」といった。名だたる行者ら(六師外道)が試みるも徒労に終わった。これを大石の上で眺めていた賓頭盧は、同じ仏弟子の目犍連にそそのかされ、坐した大石とともに空中に躍り上がり王舎城の上を巡ったのち、やすやすと鉢を取って長者の家に下ったという。
この神通に長者は大喜びだったが、釈迦は「神通で凡俗の歓心を買うなど修行者のすべきことではない」と賓頭盧を戒めた。そして、「汝は我(釈迦)に随うことも涅槃に入ることもできぬ」とし、永く俗世にとどまり、世の大福田(善き行為の種を蒔く者)になるよう命じたという。
本田不二雄『ミステリーな仏像』(駒草出版・2017)p.136
引用部をごく簡単にまとめますと、「神通力を人々の前でひけらかしてしまい、師匠のお釈迦さまから追放の罰を与えられた。俗世に残り、善行をするように命じられた」といったところでしょうか。
追放の形をとっていますが、びんずるさんは説法が上手だったので、その腕を見込んで、お釈迦さま亡きあとの布教を託した、という考えかたもあるようです。
このような追放エピソードによって、びんずる尊者さんは外に置かれたり、外陣に留まっているらしい。
過去を知った上で、びんずる尊者像を前にすると、いっそう愛おしいというか、人間味が感じられて、親近感さえ沸くのでした。
(参考)他のびんずる尊者
遠くからでも異様な雰囲気を漂わせておられ、壮絶なお姿です。
仏像は奥が深い。
このあとは本堂の内陣へ。お戒壇めぐりを。