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【京都】東寺②宝物館 ー火災から復活した千手観音立像

 
五重塔、金堂、講堂を観た後は宝物館へ。
宝物館入口を入って左手が売店、右手に行くと一階展示室、階段を上がると二階展示室・二階ホールという構造になっています。

最も有名なのは千手観音立像でしょうか。

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パンフレット



千手観音立像は、平安時代中期頃の作品。
像高584.6 cm!
国宝・重要文化財の千手観音像では国内最大だそうです。
(奈良の唐招提寺の千手観音も大きかったよな?と思って調べたら、536 cmでした。東寺の方が50cm程度大きいですね)
現在、手は126本ですが、もともとは1000本あったんだとか(1930年の食堂火災によって焼損)。

火災前(大正時代)の写真はこちら。
足元まで細い手がびっしり伸びています。

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千手観音(火災前)大正時代 パンフレットより



現在のお姿。
腰から足元にかけての手が火災によって失われてしまいました。

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千手観音立像 現在 パンフレットより


火災の後、直す方法がなくてそのままだったらしいのですが、戦後合成樹脂ができて、五十年前に修理されたそうです。
火災のときに同じく焼けてしまった四天王はまだ修復されておらず、東寺食堂の隅に置かれていました。
本当に焦げた木というか、巨大な炭、という感じでした。
形がなんとなく残っているものもあるのですが、イメージはバーベキューのときに使う炭(ただし巨大)のようで痛々しかった。
修復を待つばかりです。

四天王に比べると、千手観音は比較的焼損が少なかったのかもしれませんが、火事のあとがわからないレベルに修復されています。

興味深いのは、その修理の事前調査の際、千手観音の右大脇手から桧扇が出てきたこと。
桧扇には「元慶元年(877)」とあったそうです。
昭和の修理で発見されるまで1,100年くらいの間、ずっと右脇手に入っていたわけです。
火事のときも右手に守られていたわけで。
タイムカプセルなんてもんじゃないですね。
その桧扇も二階展示室に展示されていました。

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桧翁 パンフレットより



今回、予備知識なしで訪れたので、「ふーん」と流しながら観てしまったのが悔やまれます。
こんな背景があると知っていたら、違う見方ができたかもしれない。
記憶をたどりながら、「ああ、あれはこういうことだったのか!」と理解していくのも楽しいのですけどね。

このあと観智院に向かいました。
感想はこちら。

 

shishi-report03.hatenablog.com

 

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